最近医者にかかる頻度が増えている。
深刻な病気になったとかそういうわけではなく、歯科やら内科やら、小さい規模の慢性的疾患の合わせ技である。ひとつひとつはそれほどでもないのだけれど、ジャブのように心身と生活(特に財布)にダメージを与えてくる。
7月の末にどうにも調子が悪かったので、初めて精神衛生関連の科(心療内科)を受診してみた。思考がまとまらなかったりとか、漠然とつらかったりとか、不安感があったりとか、ありとあらゆるものが面倒だったりとかといったいわゆる「心の風邪」っぽい症状が出てきてたのもあるし、まあ自分の性格的に将来的にいつ本格的にお世話になるかわからなかったのもあって相談に行ってみようと思い立ったわけである。
ただハードルがひとつあって、実際に「それ」系の科を受診してしまったらもうおしまいなのではないかという恐怖めいた不安が事前に頭にあった。かなり昔、一時的に本当にひどい状態になったときがあって、それでもそのとき結局受診に至らなかったのはひとえにこの不安のせいだった。
今回はなんとかこの不安を押さえつつ受診に至ったわけである。
早期に手を打てたのは、たぶん昔よりも長期的な見通しができるようになってきたからのように思う。今無理して破綻するよりは、騙し騙しでも持続的に生活できる方がまだいいと思えるようになったわけだ。まあこの歳になると色々失う物もできて……というのはまた別の話ということで。
さて、実際に相談に行ってみると、当初恐れていたようなおどろおどろしいことには一切ならなかった。
症状のチェックリスト的なものに記入した後面談、終了という流れだった。
なまじっか聞きかじってるからチェックリストを見て「あー、この項目とかこの項目に○つけたら統合失調症って判定なんだろうなぁ」とかなんとなくわかってしまう。あと、傍目から見たらどうにも馬鹿らしい悩みだけれど、こういうときでさえ「どう答えるのが適切なんだろうか」みたいなことをいちいち考えてしまってちょっと困ってしまった(実際、こういうのが良くないんだろう)。
で、チェックリストを元に具体的にどういう症状か、いつからか、みたいなことを面談できいていくという感じ。
結果がどうだったかというと「よくわからん」。なんか「死刑!」みたいな感じであっさり判決が出るのを内心期待していたので少し拍子抜けではあった。もう少し詳しく言うと、「確かに鬱症状は出ているけれど、本人の気質もあるし、鬱症状が出る原因というのは実は色々ある(主には鬱病だけれど、過労とかでもそういう症状になる)。4月から環境が変わったみたいだし、疲れによるものかもしれない。対症療法をしつつ、もう少し様子を見ましょう」とのこと。さもありなん。確かに4月から色々変わって張り詰め通しだったから、疲れの線もあるかと思う。
対症療法の内容は、長期の休息とお薬。今回はタイミング的にちょうど良かったので2週間程度の休みはわりかし容易に取ることができたけど、でも実際問題として長期で休息取れる人って少ないよね…そりゃ悪化する人がほとんどなはずだよ。
そんな感じで早半月+α。まあ薬が効いたのか休みが効いたのかその両方かわからないけれども、だいぶ調子は上向いてきているなぁという感触ではある今日この頃。とりあえず体調については焦らずかつ油断せず見ていこうとは思う。
走り書き
・もともと小学生の時分から憂鬱質で気分の浮き沈みがあるから、いったいどこからどこまでが自分のパーソナリティーでどこからが病気なのかってのは判別しがたい。「漠然とむなしい」ぐらいなら日常茶飯事だし、もとから人と騒ぐのもそんなに好きではないし。その辺は医者が判断するときにも難しいのだなぁ。すぐに診断というのは下してしまわないのだね。自分のいった病院がそうだっただけかもしれないけど。
・今回の件で、自分がどれくらいの状態になったら危険なのか、というのを判断する水準がわかった気がする。「漠然とつらい」「友人や恋人とあっても嬉しい感情が湧いてこない」ってのはかなり危ない。
・自分で決めない、ってのは結構重要かもしれない。正常な判断ができない状態で意思決定するのは自己破壊的。今回はわりかし調子の良いときに予約を先に入れたので、どんなにつらくても行こうという気になれた。
・憂鬱であることそれ自体というのは苦痛ではない。カラーインクの切れたプリンタで色が出ないようなもので、ある意味当然生じる状態のひとつである。20年来の付き合いであるので、それはたぶん私自身のパーソナリティーとほとんど癒着している。
思えば、沈んでいるときでも私を刺激するようなものが、常に私の嗜好を形成してきたのだろう。薄暗闇では色はわからないが、それでもまだ像を把握できる。
ただ、今回の場合は黒で塗りつぶされた暗闇にいるようで、何も心に入って来ない。喜びや悲しみみたいな何も人間らしい感情は感じないで、ただただ理由ない疲労と、それに伴う茫漠としたつらさしか感じない。そのこと自体が疲労を増加させる。そして出口はないまま疲労とつらさのサイクルが繰り返される。そんな感じだ。
こういう状態に慣れることはおそらくないし、慣れられるものでもないのだろう。これはもう、憂鬱(正確を期せば私の中で憂鬱と読んでいる状態)の範疇を超えてしまっている何かなのだろうという気がする。単に憂鬱なだけなら人を避けて適当なことをしていればやり過ごせるけれども、これはそうじゃない。だから予防的配慮として病院に行ってみた、というのはある。